2012年9月30日日曜日

9月末の卒業試験

多田です。

当救命救急センターからは、本年度4名の救急専門医試験受験者がいました。お留守番していた自分は、「早く帰ってきてー」と思っていましたが、大きなトラブルもなく、また受験者のみなさんは、順調に試験を終えて、帰ってきました。

それとは違って、当センター恒例の「卒業試験」が本日開催されました。
8.9月の2ヶ月間、働いてくれたN先生です。

仕事のスタイルは、「寡黙で実直」仕事にムラがなく、安心して任せられるタイプの先生です。

さて、お好み焼き全部トッピングですが、今回も入れ物が2つに分かれています。すでにトッピングではない状態になっています。

同じく昨日の当直で、へとへとになっている、S先生を横目に黙々と完食です。


今回はお店のトッピングミスもなく、無事卒業です。

(余裕の歯磨きです。)
次なるローテーション先、泌尿器科に行っても頑張ってください。

2012年9月26日水曜日

送別会

多田です。
昨日9/25は送別会でした。
当センターで3年半働いてくれた、S先生が転勤になってしまいました。
先生は、当院の救命センターが危機的状況だった時期に赴任し、センターの建て直しに関わってくれた人物です。
(センター長とS先生)

腹部外科医のバックグラウンドをもち、外科医としての思考・決断など、たくさんのことを教えていただきました。
また、救命センターのムードメーカーでS先生の周りは、いつも笑い声が絶えませんでした。
送別会には、平日にも関わらず、送別会には50人近くの参加者があり、
(参加者が多くて写真に入りきりません。)


3次会は午前2時のラーメンまで続きました。

(師匠と弟子の図)


参加者は、救命センターの医師・看護師だけでなく、臨床工学技士さんや、一緒に当直をしていた、以前の研修医・脳神経外科のDrや、心臓血管外科のDrなどの方々が、各地から集まってくれました。

当センター看護師の作ってくれた動画や、男子スタッフによるブログでは紹介できないネタ(笑)で会は大変盛り上がりました。

送り出すのは、残念なのですが、救急医のハートを持った外科医として、これから新天地で活躍されると思います。
ありがとうございました、また会える日を楽しみにしています。
お疲れ様でした。

あっ、ブログに載せられない写真は、後日郵送させていただきます(笑)

2012年9月24日月曜日

フライトドクター研修終了

多田です。

当院のS医師が、千葉北総病院でのトータル1ヶ月間の、Drヘリ研修を終了しました。
今日1日、研修中の様子を話してもらいましたが、持ち前のおおらかな性格もあり、正確なフライト数は不明で、30件ぐらいとのことです(笑)


職場復帰初日の本日、さっそく救急車同志のドッキングミッションを成し遂げ、研修の成果を発揮していました。
病院前医療を実践したくてうずうずしていた、S医師にうってつけのミッションでした。
「病院到着まで約30分」という情報から、出動決定までのスピードは研修前にはみられなかったことです。
ショックの患者さんに早期接触ができ、早期に医療介入が達成できました。
今までの病院で待っているだけの救急医とは、ひと味違って、一皮剥けた救急医に成長できたのではと思っています。
来年の今頃は、その持ち味を生かして、「広島県Drヘリ」で活躍してくれると思います。
頼もしい限りです。
これからも活躍に期待してますよ。

(千葉北総病院で研修中だったS医師)


・S医師の研修中のことを、千葉北総病院のブログに載せていただきました。
興味のある方はこちらです。

2012年9月21日金曜日

ホットライン

多田です。

救命救急センターには、文字通り「一刻を争う」患者さんが運ばれてきます。
そのため、病院の代表の電話とは別に、救命センター医師に直接つながる電話を用意しています。通称、ホットラインといい、救急隊からの受信専用電話になっています。
当院では現在、ホットラインをもつDrが、24時間ごとに、交代で当番をしています。
ホットラインの本体は2Fの救命センター内にあり、

(これが本体です。)
PHSと連動していて、CT室・レントゲン室・血管造影室などのある、地下1階ぐらいまで電波が届くようになっています。

こんな風に、居眠りしていても、

ホットラインが鳴れば飛び起きて仕事です!

連絡がきてから患者さんが搬送されるまで、早いと5分程度です。
当番の日は、緊張が続きますので、PHSを持っているだけでちょっと疲れてしまいます。
そんな当直明けは、

甘いものに限ります。
「当直明けだから・・・」と自分を甘やかしてしまって、お腹周りが大変なことになってます。
まったくできていませんが、定期的な運動は、大事ですね。

2012年9月19日水曜日

引き続き、フライトドクター研修・フライトナース研修

多田です。

現在、当院のスタッフが、フライトドクター研修に1名フライトナース研修に1名でています。
ドクターは、自分と同じ、<日本医科大学千葉北総病院の救命救急センター>でトータル1ヶ月の予定でSドクターが、
ナースは、<東海大学医学部附属病院の救命救急センター>で2週間の予定でMナースが、研修中です。
どちらの施設も、ドクターヘリの歴史は長く、10年を越えます。
長年のノウハウを学んできてもらえればと思います。

どちらの施設も、現在の運行会社は、「朝日航洋さん」なので、自分が北総病院でお世話になった整備士さんが、東海大学医学部附属病院のMナースの研修中の様子を送ってくれました。


(Mナースです。)

慣れない研修で大変でしょうが、頑張って吸収できるものは吸収してきてくださいね。
期待してます!

2012年9月17日月曜日

救急医の資質

多田です。
今日はちょっと深いテーマです!

救急医の中には、外科出身で手術ができる人整形外科出身で骨折の治療ができる人麻酔科出身で全身管理が得意な人小児科出身でこどもが得意な人!(ニヤリ)などなど、いろんなことができる人が集まっていますが、全員が手術ができるわけではなく、全員がこどもを見ることができるわけではないんです。

救急医って、結局「何ができる人のことを言うのか?」



自分はまだ救急医として働いて、3年目ですのでなかなか答えを出しにくいですが、今のところ、「<時間>をうまく使う。」ことができるところだと思って仕事をしています。

重症の患者さんであればあるほど、
・やらなければならない治療・検査はなにか?
 そして、その順番はどうか?

・呼ばなければ行けない応援はだれか?
 その順番はどうか?

・次に準備しておかなければならないものはなにか?

・次の次はどうか?
など、時間に関して考えなければいけないことが、たくさんあります。
そして、その順番・かかる時間によって、患者さんの予後や、生死が決まってしまいます。
精神的にかなり辛い仕事ですが、うまくいって患者さんを助けることができたときの喜びは大きいです。
しかし、残念なことに、うまく救命できた患者さんのカルテを書いて記録を残したとしても、その時間の使い方は、あとからみてもほとんどわからないことが多いのです・・・
そして、ほとんどの患者さんはその時のことを覚えてないんです・・・

自分の勝手な印象ですが、救急医は「自分に厳しい人が多い」と思うのですが、それは人からの評価が難しい仕事だからかなと、勝手に理由づけています。

9月から救命救急センターローテーション中のM先生です。





時間の使い方が、上手です(笑)
「食べられるときに食べ、眠れるときに眠る。」
救急医向きですね。期待してます!

2012年9月15日土曜日

情報の伝え方

多田です。
以前、北総病院で研修中に、救急隊の電話での情報伝達がものすごくわかりやすかったことを記事にしました。

お読みでない方は、こちらをどうぞ。
痺れました

「すごい!」と思いましたが、思っているだけではいけませんので、自分もまねしなくてはと思い考えました。
Drヘリで現場に出動した際に、医者だからといって、救急隊以上に得られる情報は実はそう多くありません。
観察・診断ということに関しては、
外傷の患者さんで言えば、「超音波が使えること」だけ。
内因性の患者さんで言えば、「血糖が測れること」だけが、救急隊にできなくて、フライトDrにできることだと思います。
(治療に関することは、Drの方がいろいろできることが多いです。Drヘリはそのための乗り物ですからね。決して速い搬送が目的ではありません。
とすると、情報伝達が上手な救急隊のまねをすれば、うまく患者さんの情報を伝えられるのでは?
研修中に考えて作ってみました。

これは、外傷編ですが、病院前の医療なので、病院前救護のプロトコール:JPTECの概念を応用しています。
(JPTECってなに?という方はこちらか、こちらをどうぞ)
Drヘリから、基地病院へ医療無線で話すためのひな形と思って作りました。

外傷の情報はJPTECでは、
MIST(Mechanism:受傷機転、Injury:損傷、Sign:意識・呼吸、循環の状態、Treatment:行った処置)
の順番に情報を送るように、指導されています。
自分はこの順番に決まったのは、漏れのないようにする語呂がいいからだと、勝手に解釈しています。
MIST(霧の英語)だと確かに覚えやすいのですが、聴いている方からすると、より重症な症状が伝えられるだろう、Signより先に、命に関わらないInjuryが先に伝えられることがあり、「それ(やばそうなSign)先に言って欲しいなー」と思うことがちょくちょくあります。
なので、自分はMSITで話した方が、より重要な情報が早くに伝えられるのではと思っています。
来年度、Drヘリの機内からこれを見ながら、無線を送る日を夢見て、さらにいいものにできればと思っています。

2012年9月9日日曜日

うれしいブログの読者

多田です。
先日、通常勤務中に突然”うれしい”お客さんが。
以前、ICUに入院しておられた男の子と、そのお姉ちゃん、お母さんでした。
退院後、定期的な外来フォローに来院された際に、救命救急センターによってくれました。
退院したときより、症状もよくなっていて、元気な姿に癒されました。

ICUに入室される患者さんは、重症の方が多いので、怪我や病気をされる前の状態に戻らない方が少なからずいらっしゃいます。
そんな中、こども達は比較的、入院前の状態まで回復してもらえることが多く、元気になった姿を見せていただくと、スタッフ一同、仕事のやりがいがわいてきます。それだけで、またしばらく仕事をがんばることができます。

お母さんから「先生ブログ見てますよ!」と言われてちょっと恥ずかしかったですが、「お姉ちゃんがブログを見て作文書いたんよ。」と言われて、さらに恥ずかしさ倍増でした。
こども達に見てもらっても、恥ずかしくないブログにしなければと再認識しました。
また、時間があれば、顔を見せていただければと思います。
ありがとうございました。
これでまたしばらく仕事がんばれます!

2012年9月7日金曜日

病院広報誌

管理人の多田です。
当院の病院広報誌で「もみじ」というものが定期的に発行されています。
各号それぞれ色んな科や、部署の記事が掲載されています。
そのなかでも、
40号には、センター長が救命救急センターについて語った記事が

42号には、「Drヘリ的事業」の記事が載っています。

PDFになっていますので、院外の方もご覧いただけます。

←こちらからどうぞ。

2012年9月5日水曜日

Save Life in Hiroshima 2012


多田です。
今日は宣伝です。
当センターと関係の深い、広島大学病院 高度救命救急センター・集中治療部の先生達が主体となって、行っているイベントです。

今年は9月8日(土)にカープvsベイスターズに併せて、マツダスタジアムでイベントを企画しています。
ズームズームスタジアムに来たお客さんを対象に一般市民への心肺蘇生法の普及啓発活動ということで、毎年開催している企画です。
カープのHP、大学のHPで紹介しています。


興味のある方がいらっしゃいましたら、野球観戦がてら寄ってみてください。
「心肺蘇生法が学びたい!」といって集まった方、ではない方々を対象にした珍しいタイプのイベントです。

2012年9月3日月曜日

日本DMAT広域医療搬送訓練 その2

 管理人が県立広島病院DMATチーム1のレポートをしてくれたので,引き続きセンター長がチーム2の足取りを追っておきます.兵庫・岡山・広島等から,高知大学に参集の指示を受けたDMATが28チーム.そこから,高知大学に設置されたSCUを担当するチームと,高知県内の病院支援に入るチームに分けられました.

想定:高知県内各病院の被災状況

 チーム1が最下段の被災状況の入力がない(すなわちパニック状態で入力する余裕がないことが推測される)病院へ派遣.一方のチーム2は,最上段の最も傷病者数の多い病院への支援を指示されました.早めの到着が功を奏して,高知医療センターへの最先着DMATとなったため,病院災害対策本部の中での位置づけ,コミュニケーションが一筋縄ではいかない難しさの部分を経験することができました.


 医療センターには最終的に5チームが投入され,病院対策本部の支援,赤エリアの患者さんの搬送優先順位の決定,搬送支援などのミッションを組み立てました.衛星電話で高知大学SCUに連絡を取ろうとするのですが,かからなかったり,途中で切れたり.なかなか大変です.



 本ブログに何度も登場している,フライト実績ナンバーワンのO川看護師ですが,同時に当院DMATチームの中核的存在でもあります.広域医療搬送対象の患者情報を整理しています.的確に整理された患者情報リストを慌てることなく記載していく様子には,安定感があります.新たなファンも獲得した話は,次回の番外編で…

2012年9月2日日曜日

備えあれば憂いなし!

多田です。
9/1は「防災の日」です。
大正12年の9月1日に関東大震災が起こったことにちなんだものです。
昨年は3/11の東日本大震災もあり、防災に対する意識が高まっております。
昨日は、全国規模でのDMAT訓練が行われました。
(DMATとは?という方はこちら
当院も3隊のうち2隊が訓練に参加しました。


自分は、DMAT隊員になって初めての訓練です。
今回の想定は、高知県沖を震源とした大地震でしたので、広島DMATは比較的早く被災地に入ることができる条件でした。
訓練の都合上、朝7:30には着替えて集合し、2隊で”参集拠点”である、高知大学医学部附属病院を目指しました。途中10:00頃、発災の緊急連絡メールがDMAT本部より送信されました。
高知大学医学部附属病院に到着後、2チームは別々のミッションを与えられ、それぞれ”高知医療センター””JA高知病院・あき病院”で活動しました。
それぞれのチームは、派遣先の病院で、DMAT本部の立ち上げ・病院支援など行いました。

(高知大学病院へ参集し指示を待ってます。)

訓練終了の18:30には、訓練ではありますが、大きな達成感がありました。
訓練終了後、当院のDMAT隊は、日帰りのプランでしたので、陸路帰広・・・。
病院到着時には日付が変わってしまっていました。
かなりの疲労感でしたが、大規模な訓練に参加させていただいて、得るものも多かったと思います。

実災害の時に、きちんと活動できるDMAT隊を目指して、積極的に訓練に参加していきたいと思います。

「備えあれば憂いなし!」


帰りはしっかりと、南国SAで「鰹のたたき」を堪能して帰りました。
おいしかったですよ。