2015年3月28日土曜日

あらたな門出を応援します。

多田です。

毎年この時期にになると、退職者や転勤者が発表になり、びっくりしたり、残念な思いをしたりします。
自分は、今年度末を非常に残念な気持ちで迎えることになりました。

6年前、崩壊しかかった県立広島病院 救命救急センターへ赴任し、経験年数以上の重い仕事をこなし、また、新しいことを見つけ、それを現場に反映し続けてきた、佐伯Drが転勤になります。

佐伯Drは自分が赴任した5年前から、成人診療に慣れない自分に、たくさんいろんなことを教えてくれました。
(先輩S先生と) 

(骨盤創外固定セミナーで)
また、「患者さんにとって良いと思われること」、について、自分が迷っている時には、「やりましょう!」といって背中を押してくれました。

(RRSの講演会)

HEM-net研修の研修先をどうしようかと迷っている時に、「千葉北総でしょう!」と後押ししてくれたのも佐伯Drでした。


(千葉でのラストフライト)

佐伯Dr自身も、数々のコースを受講し、インストラクターとなり、あちこち飛び回っていました。自分の専門である、小児分野へも興味を持ってくれ、「大人と一緒でいいんですね。」と、当センターの小児重症患者へのアプローチ方法の意味も、一番理解してくれ診療に参加してくれました。
(PFCCSで植田先生と)

ここ5年間で3/4程度の看護スタッフが入れ替わってしまい、センターとしての機能を十分果たせないのではないかと、不安になることがありましたが、一緒に数々の勉強会を行い、シミュレーションを行い、診療スタイルを極力シンプルにし、センター全体としてのスキルアップを目指しました。
(救急外来でのシミュレーション) 

(新しく配属された看護師への即興の勉強会)

この5年間の思い出は、つきません。

今回、佐伯Drは、「外傷整形外科医」を目指すべく、埼玉県の病院へ転勤となります。
将来は、広島に帰って来て、その身につけたスキルを発揮してくれることを確信しています。
送り出す側としては、非常に寂しいですが、医師としての成長のためには、大事なことです。
(DMAT隊員として土砂災害に出動)

(ラストフライト)

佐伯先生お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
また、一緒に働けることを前提に、広島で待っています。
大きくなって帰って来てください。

2015年3月19日木曜日

妄想出動シリーズ:第1回 脳血管障害疑い(後編)

妄想出動シリーズ:第1回 脳血管障害疑い 後編です。
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救急車内で患者さんと接触した、フライトドクターは、救急医としての基本、ABCDをすばやくチェックします。

気道は通っているか?
呼吸状態はどうか?
心臓は十分血液を送り出せているかどうか?
意識の状態と麻痺や瞳孔の異常はないか?

そして、治療に必要な点滴をとり、同時に血糖測定をします。
低血糖による意識障害や、麻痺でないことを確認し、気道・呼吸に問題がなければ搬送先病院を選定します。

脳梗塞を疑い、発症から時間が経っていなければ、血栓溶解療法の適応になることがあります。
ドクターヘリのスピードが生かされる事案です。
血栓溶解療法のできる病院へ連絡し、収容依頼。

その間、フライトナースは患者さんの情報を収集します。
いつから、どのような症状なのか?
患者さんはなにを訴えていたのか?
最後に食事を食べたのはいつか?
今までにかかった病気や、治療中の病気はないか?
アレルギーはないか?
など、患者さんの病気に関する内容だけでなく、
ご家族が現場にいるのか?
ご家族の連絡先の電話番号は?
患者さんの持ち物は、だれが管理するのか?
など、フライトナースの現場での仕事は非常に大変です。

搬送先病院が決まれば、運行スタッフに搬送先を伝え、運行スタッフは離陸の準備をします。
医療スタッフは、消防の方々と救急車のストレッチャーから、ヘリのストレッチャーへ患者さんの移動をし、ヘリ機内に収容します。

機内で患者さんのモニターをつけて、医療スタッフ全員がシートベルトとヘッドセットをつけ、ドアロックを確認して離陸です。
離陸の際も、飛散物・障害物・危険な場所にいる人など医療スタッフも確認します。

搬送先病院への到着時刻は、CSさんから連絡してもらいます。
搬送中は、機内でもモニターを装着するだけでなく、フライトドクター・フライトナースが患者さんから目を離しません。
(橋本Ns)

(O川Ns)

数分間のフライトの後、搬送先病院のヘリポートへ着陸。
(病院屋上)

メインローター停止後に、 降機し患者さんのストレッチャーとともに、搬送先病院の先生と移動しながら病状について申し送りをします。
搬送先病院のストレッチャーに、患者さんを乗せかえて搬送は終了です。
必要な申し送りの後、ヘリに戻り、次の事案に備えて広島ヘリポートへ帰投します。

(事案が終了してほっと一息です)

ヘリポートに帰ると、事案のカルテを書き、フライトナースは使用した物品の整理をし、機長・整備士さんはいつ次の要請があってもいいように、給油や機体の整備をします。

(一部の写真提供は、神戸の航空機好き女子のお二人です。ありがとうございます。)

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以上が、「脳血管障害」事案に対する妄想出動です。
なんとなく、イメージわきましたでしょうか?
可能な限り、シリーズを続けて行きたいと思っていますので、あせらずお付き合いください。

2015年3月11日水曜日

妄想出動シリーズ:第1回 脳血管障害疑い(前編)

多田です。

先日、ある出動を記事にしようとしていた時、あらたなシリーズを思いつきました。
名付けて「妄想出動シリーズ」です。
ドクターヘリが要請される救急事案には、重症外傷・ショック・脳血管障害・急性冠症候群などがあります。それぞれの事案について医療スタッフの目からみた「あるある」だったり「定番」だったりを知っていただくことで、ドクターヘリ事業への理解を深めていただけたらと思います。

ただし、シリーズの中身は、多田の独断と偏見での「あるある」ですので、ご了承ください。
「へー、こんなこと考えて、こんなことしてるんだー」程度でご理解いただければありがたいです。

早速、シリーズ第1回
「脳血管障害疑い」です。

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ホットラインに入電です。
「60歳代男性、右半身が動かなくなった。E田島消防からの要請」
出動の準備をしながら、スタンダードな物品以外になにか追加で必要でないかを確認します。
出動物品をもったら、ヘリポートのドクターヘリまでダッシュ!!
(出動を急ぎます)

整備士さんのOKサインを確認し、ヘリの真横から機体に近づきます。
それぞれ、所定の座席に座り、4点式のシートベルトをし、ヘッドセットを装着します。
医療スタッフがそれぞれ、お互いのシートベルトと、左右のドアロックの確認をし、運行スタッフに確認OKなことを伝えます。
離陸の準備が済み、ヘリが「ふわっ」と離陸するころには、フライトナースはすでに点滴の準備を始めています。
(離陸まで約3分です)

広島へリポートの上空で、「ランデブーポイント」「支援隊・救急隊のコールサイン」「要請元消防」の連絡の後に、追加の患者さんの情報が入ります。
「64歳男性、自宅で会話中に突然倒れたため救急要請。右半身が動かない。救急隊現着前の要請です。」
無線で送られてきた内容から、患者さんの状態を想像します。
離陸直後に入ってくる患者さんの情報は、せいぜいこの程度です。
この限られた情報から、患者さんの状態を推測し、必要な処置・治療をあらかじめ想定します。

脳血管障害(脳梗塞や脳出血)を疑わせる症状です。
医療スタッフは、考えられる病態・病名を頭に思い浮かべながら、現地で行う処置や検査について、運航スタッフの会話を邪魔しないように、必要最低限の会話で意思疎通をはかります。
今回は脳血管障害を疑わせる患者さんですが、念のため血糖測定をし、低血糖は否定するつもりです。
ランデブーポイントへ向かって飛行し、着陸の支援をしてくださる支援隊の方と無線交信します。

安全確保ができれば、着陸します。着陸の際には、医療スタッフも飛散物や、線状障害物、危険な場所にいる人などがないかどうか確認します。

ランデブーポイントへ着陸の後、整備士さんがドアを開けてくれますので、そこから降機し救急車内で患者さんの診察をします。
当然、救急車までは医療資機材を入れたバックを背負ってダッシュです。

救急車内のストレッチャー上で、診療を開始します。
運ぶだけが目的ではないので、心電図モニター・SpO2モニター・血圧計はつけられたままで、救急隊員・救急救命士による観察が継続されております。
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続きは後編でお楽しみください。

(一部の写真提供は、神戸の航空機好き女子のお二人です。ありがとうございます。)

2015年3月2日月曜日

第20回集団災害医学会に参加しました。

多田です。

2015年2月26日-28日に、東京都立川市で集団災害医学会が開催されました。
記念すべき20回大会で、日本DMAT発足10周年でした。
3日間にわたり、たくさんの災害医療に関する発表や展示がありました。
自分は、「緊急報告 広島土砂災害」のセッションで、2014年8月20日の、DMAT活動拠点本部の活動について発表させていただきました。

そのセッションには、当院の山野上センター長が「DMAT調整本部の活動」として、広島県のDMATを統括した活動の報告、
(センター長です)

現場で静脈路を確保した、救急救命士の報告
他、現場で活動した看護師の報告
本部で活動した、業務調整員の報告
そして、自分の、DMAT活動拠点本部の活動の報告
(時間の限り、伝えられることを伝えました)

DPATの活動の報告がありました。

我々が経験した局地災害の体験を、会場のみなさんにある程度、お伝えすることができたのではと考えております。

そして、発表終了後には、思いがけないすてきな出会いがありました。
(この方が、どなたかは、いつかこのブログでご紹介できるはずです)

この出会い、必ず日常の救急医療と災害時の医療に結びつけて行きたいと思います。