2014年8月22日金曜日

2014.8.20の広島市豪雨災害の当院での対応について(備忘録として)

多田です。

2014.8/20の未明に起きた広島市豪雨災害で、たくさんの方々が被害にあわれ、命を落としていらっしゃいます。いまだに行方不明の方々がたくさんいらっしゃり、消防・警察・自衛隊・近隣の方々などにより、救助活動が継続されております。
当院救急科として、今回の災害へどのように対応したかの詳細については、また院内もしくは圏域などで検討したいと思います。
今日は、当日当直医で初動を経験した自分の備忘録として、対応の概要を記します。
自分の記憶の中での時間軸で、正確な時間の確認はできていませんので、ご了承ください。
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2014.8.19は朝からの晴天で、いたって普通の日勤帯を過ごしました。
当直の時間帯となり、当科で研修終了後の研修医、S先生と進路について話しながら準夜帯を過ごしましたが、日付が変わる前頃より、大雨と雷が救命救急センターからも確認できました。
深夜勤務の看護師さん達も、通常より早く出勤していました。
雷に伴い、停電のリスクもあり、ICU・救命救急センター・HCUの人工呼吸器を確認して回りました。
全くトラブルなく動作しており、救急外来も患者さんはほとんどいらっしゃらず、落ち着いた状態でした。
いつもは、当直室で仮眠をとるのですが、なぜかこの日に限って、救命救急センター横の医局にある、簡易ベッドで仮眠をとりました。
日付は変わり、2014.8.20の4時過ぎに、救命救急センターへ一本の外線電話がかかりました。
広島県の医療政策課の担当者の方です。
「安佐南区で土砂崩れがあり、県庁に対策本部が立ちます。今から県庁に向かい詳細がわかればまた連絡しますが、以前より対策本部が立つような災害があれば、一報いれていただきたいと、山野上センター長から申し出があったので連絡しました。」

センター長へ、上記の内容を伝言し、事実確認が必要と判断し、広島市消防局へ電話をかけましたが、呼び出し音のみでどなたも出られませんでした。約10分して、あらためてかけ直しても同様で、一般電話の対応が困難な状態が想像されました。
局地災害の可能性を考え、該当地区の救急隊の携帯電話を鳴らしました。
救急救命士のYさんに電話がつながり、「同時多発的に土砂崩れが起きており、指令はパンク状態で119の対応もままならない状態。今から現場に行くが車が入れない場所で途中から徒歩で向かう。」という情報をいただきました。
「当院で多数の患者を受け入れられるよう準備を進めます。」と、広島市消防指令への伝言をお願いし電話を切りました。

局地災害を確認できたため、山野上センター長へ現状を連絡し、院内の診療体制の維持のため担当者の招集を開始しました。
以前の、有毒ガス事案の際に効果的だった(その模様はこちら)、院内で勤務中のDMATを招集しようとしましたが、あいにく自分以外だれも勤務しておらず、電話で自宅のDMAT隊員を招集開始し、クロノロも開始しました。

その間、広島市消防の救急隊より、土砂崩れから救出された患者さんの収容要請がありました。現場から救急車で約40分間かけて搬送になります。該当患者さんの情報に加えて、現場の状態を可能な限り教えていただきます。「現場が複数箇所に別れており、混乱している。道路が寸断されているところもあり、全貌がわかっていない。今後もたくさんの患者さんがでることが予想される。」と。
初療開始までの時間が多少ありましたので、研修医のS先生に準備は任せて、応援の招集に時間を使いました。
また、広島県ドクターヘリの基地病院である広島大学病院救命救急センターへ連絡し、現状の把握と当院の情報を連絡しました。

その後、一人二人と招集したDMAT隊員が救命救急センターへ集合し始めました。最初の患者さんが病院到着までに、板井Dr・佐伯Drが病院へ到着しており、自分は救急外来で患者さんの診察を始めました。
センター長、T先生と次々にDrが集合しました。この時点で、当日当直のK先生以外の救急科医師は全員集合です。これまでの経過と現状の報告をし、それぞれに役割が振られます。
さらに、DMAT隊員である看護師・放射線技師・事務職員などが徐々に参集し、院内の対応・院外へのDMAT隊派遣の準備が進みます。

救急外来へ来院された患者さんは、砂にまみれた状態で搬送されており、凄惨な現場が容易に想像できました。搬送救急隊の情報では、やはり「これからもたくさん患者さんが増えそう」ということでしたので、病院として災害モードを発動しました。
院長へ連絡しましたが、対応困難だったためI副院長を災害対策本部長として、病院の災害対策本部を設立しました。

早朝から事態を知らずに出勤されていた外科Dr・前日の当直だった外科・内科・研修医の先生達、深夜勤務の救急外来の看護師達。手伝っていただけるスタッフには、手当たり次第に声をかけ、救急外来の整備と、救命救急センターの空床確保に努めました。
この時点で朝の7時頃で、いつの間にか空が明るくなっており、被害の一部も報道されはじめていました。
混乱した現場の情報が必要と判断し、山野上センター長と、西村看護師は広島市消防局へタクシーで出発。
同時に、当院の救急外来・救命救急センターの責任者を救急科のT先生に決定し、院内のチームビルディングを開始。
当院の夜間救急の体制では、普段、3次救急は救急当直が対応するホットラインに入電し、1.2次の救急はトリアージナースへ入電するシステムですが、災害対応の窓口を一本化するために、土砂災害による患者さんはホットラインへ一元的に入電するように調節。
朝になり、徐々に参集するDMAT隊員の人数が増えてきたため、また、現場に医療を必要としている要救助者が多数いるという情報があり、院外派遣DMATの編成を開始。
山野上センター長と西村看護師、A放射線技師は、県庁の災害対策本部へ移動し、DMATの都道府県本部を立ち上げました。

病院全体で、定期手術の中止と、外来診療の一部中止を決定し、病院としての対応が固まったことを確認し、院外へのDMAT派遣を決定。
多田・フライトナースでもあるO看護師・H看護師・T放射線技師の4名で、納入されたばかりのDMATカーで出動しました。途中、緊急走行ができなくなるというハプニングに見舞われましたが、参集拠点として設定された、安佐北消防署へ到着しました。

広島大学病院DMATが先着していましたが、業務調整員の方のみ残して、医療スタッフは医療介入が必要な患者さんがいるということで、現場に出動していました。
DMAT本部ができていませんでしたので、当院のDMATで本部を立ち上げることを決定し、署長さんにご挨拶させていただき、署長室の一角をお借りし、本部として使わせていただきました。
夜中からの消防のみなさんの活動で、同時多発的に土砂崩れがおきたこと、それぞれの現場で確認ができていない人の人数が把握されておりました。
我々の到着後、徐々に他のDMAT隊も参集し始め、消防の方々から密に連絡をいただき、要救助者がいる現場に、隊を派遣しました。
直近の3次医療機関の対応がすばやく、本部立ち上げまでの患者さんはそちらへ搬送されていることが多かったようです。
我々の本部には、我々も含めトータルで6隊のDMAT隊が参集し、安佐北消防署管内の患者さんに対応させていただきました。
クラッシュ症候群の患者さんもいらっしゃり、現場からの医療開始が絶対的に必要な状態でした。
2013.11月のDMAT中国地方訓練(その時の記事はこちら)で、病院にDMAT活動拠点本部を立ち上げ、運営させていただいた際に反省点として挙がっていた、「早いタイミングから広域医療搬送を考慮した活動をしなければならない」ことを肝に銘じて、現場での医療ニーズが充足した段階から、ヘリポートの選定と搬送に必要なヘリコプターの選定を行いました。
普段、フライトドクターとして勤務させていただいていますので、ドクターヘリの特性・近隣のドクターヘリへ応援要請できること、消防ヘリ・防災ヘリが災害の場合には患者搬送に使えない可能性が高いことは理解しておりました。
早期から、広島県ドクターヘリのCSさん、広島県の災害対策本部と連絡をとり、可能な限り最大多数のドクターヘリの応援要請をお願いしました。
また、安佐北消防署管内で、離着陸可能なランデブーポイントを現場から帰って来た消防職員の方にピックアップしていただき、CSさんと機長と相談していただき設定しました。
患者さんが増えれば、圏域以外の病院への搬送が必要と考え、搬送用ヘリコプターの調達と同時に、県内の別の医療圏の病院の受け入れ状況を直接電話で確認し快諾いただきました。結果的に圏域内の病院で収容可能な患者さんの数でしたので、救急車・ドクターヘリで搬送していただきました。
また、平行して安佐南消防署にもDMAT活動拠点本部が立ち上げられており、本部同士でも密に連絡をとり、ヘリ搬送のニーズも把握しました。

現場で、直接患者さんを診察していただいていたDMAT隊は、患者さん搬送とともに本部に帰ってきていただき、避難所の調査等も行っていただきました。
医療ニーズが減ってきたこと、被害は安佐南地区の方が大きいことから、安佐北消防署のDMAT本部は解散し、安佐南消防署の本部に統合されることになりました。安佐北消防署の片付けを行い、お世話になった消防の方々に挨拶の後、安佐南消防署に移動しました。
安佐南消防署のDMAT本部に挨拶ののち、安佐北本部での活動報告と情報提供を行いました。また、当院DMAT隊は、翌日まで安佐南で活動を継続する予定だったため、佐伯医師・I看護師・M看護師・I業務調整委員で構成された隊に引き継ぎ、病院へ帰投しました。
病院では、日勤帯に搬送された重症の患者さんが入院しており、集中治療が続けられておりました。
県庁の災害対策本部とそこに立ち上げられたDMAT広島県本部も、翌日までは機能を維持する方針のため、夜間は当院から板井Dr・K看護師・Y業務調整委員が県庁に入り、都道府県本部の機能も維持しました。
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以上が、今回自分の関わった災害対応です。
院内を留守にしている間、通常の救急医療も行いながら、災害で被災された患者さんの診療も行っていました。ご協力いただいた関係機関の方々には感謝の気持ちしかありません。
我々が関わることができたのは、災害のごく一部ですが、DMATというシステムの力を実感できた局地災害でした。
また、自然災害において、いかに自分達が無力だということも。
しかし、自分が大学生の頃に起こった、阪神淡路大震災の時にはなかった、「DMATのシステム」「災害時のヘリコプター救急」「クラッシュ症候群への現場からの治療開始」など、災害医療の進歩を実感できた部分もありました。
行方不明の方々の安否が引き続き心配されます。
現場で活動を継続していらっしゃる、消防・警察・自衛隊・近隣住民の方・ボランティアの方々が、さらなる危険にさらされることがないよう、祈っています。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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2014/08/22 13:00追記
上記の活動は、当院全体で全力で行った活動です。
当院の救命救急センター医師は、主任部長を含めて6名という小さな所帯です。
コメディカルとの良好な関係で、力強いチームができここまでの活動ができています。
災害医療では、普段からの鍛錬が試されます。
救急医療・災害医療に力をいれている当救命救急センターですが、正直なところ人手不足(医師・看護師)で困っています。
このブログをごらんになって、「こんな救命救急センターで働いてみたい!」と感じられた方、ご連絡ください。そして、助けてください。
手前味噌ですが、病院一丸となって災害に真っ向勝負できる、すばらしい病院です。
是非一緒に重症な患者さんを救命しましょう!

<救命救急センターの連絡先>
734-8530
広島県広島市南区宇品神田1丁目5-54
県立広島病院 救急科
「Turn Back Time」
救急科医師:多田 昌弘(ただ よしひろ)
センター長:山野上 敬夫(やまのうえ たかお)
E-mail:hph.ccmc@gmail.com
TEL:082-254-1818(代) FAX:082-253-8274

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