多田です。
残念なことに、また広島で局地災害が起こってしまいました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、受傷された方々の一刻も早い回復をお祈りします。
今回は、私はこの事案に広島県ドクターヘリのスタッフとして、関与させていただきましたので、備忘録としてここに記します。
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2016年3月17日は、朝から快晴で早朝のヘリポートは寒くもなく、心地いい天気でした。
朝の無線チェックを終え、ブリーディングを始めようとしていた時、ヘリポートの電話が立て続けに鳴りました。
一件は広島大学病院から、もう一件は当院から。要請ホットラインも鳴ります。
それぞれの病院責任者の先生からの情報提供と、東広島消防からのドクターヘリ要請です。
「高速道路のトンネル内での多重衝突事故と、それに伴う火災により、15名から30名程度の傷病者が出ている」と言う情報でした。
「高速道路」「トンネル」「多重衝突事故」「火災」。
これだけのキーワードが揃っていれば、救急医なら局地災害対応のスイッチが自然と入ります。
本日、ドクターヘリの医療スタッフは、医師2名(多田・儀賀Dr)、看護師1名(山下Ns)の待機だったので、追加の医療スタッフのピックアップはせず、離陸しました。
離陸後、当院と、広島大学病院、要請元消防、広島市消防局の5者通話で、追加の医療スタッフ派遣を計画してもらいます。
さらに医療無線で、当院の救命センターに連絡し、東広島医療センターをトリアージポストにしたいことを連絡します。
現場に最先着するであろう医療スタッフとして、できるだけ現場に近づいて、現場から傷病者の情報を発信したいと思って出動しました。
これまでの経験と、全国各地での例から、「局地災害は時間との勝負」であることがわかっていますので、特に時間にこだわった活動を心がけました。
そして、いつも通り、医療の独りよがりではない、「消防組織へのさらなる、余計な負荷をかけない活動」にもこだわりました。
ドクターヘリの着陸に関して、東広島市消防と何度も無線交信を試みましたが、なかなかつながらず、現場が混乱してることが伺えました。
何度目かの交信で、ランデブーポイントである、東広島医療センターのヘリポートに支援車両を送ってもらうことができ、安全に着陸することができました。
(東広島医療センターです)
着陸後、東広島医療センターの救急外来へお邪魔したところ、たくさんの病院職員の方々が、すでに災害対応を初めてくださっておりました。
あらためて、現場の患者さん達を、搬送するのでトリアージポストとして病院の救急外来を使わせていただきたいことをお願いし、快諾いただきました。
これから、現場に出向く人間にとって、非常に心強くありがたかったです。
その後、東広島医療センターから現場まで、消防の支援車両で我々医療スタッフを派遣していただくことができました。
支援車両で、一旦、高速道路の緊急開口部まで行き、そこから待機していた救急車に乗って現場に向かいました。
現場に到着後、救護所の本部に出向き、消防の方々に到着を報告します。
現場ではすでに、東広島消防の複数の救急隊により、1次トリアージが済んでおり、傷病者の名簿も作成されておりました。
トリアージが赤の患者さんはいらっしゃらなかったため、黄色の患者さんから診察を開始するよう、儀賀Drに指示しました。
自分は、救護所の本部を指示していらっしゃった、K本救急救命士さんとともに、今後の「戦略」を考えます。
まず、黄色のトリアージの患者さんを、優先して病院へ搬送。搬送先は、当院と広島大学病院からの、応援の医療スタッフが参集してくれるはずの東広島医療センターを選定します。
医療センターの受け入れ準備が万全であろう事は、先ほど救急外来へお邪魔した際に確認済みでしたし、あらためて電話連絡させていただきました。
儀賀Drによる、2次トリアージにより、患者さんの搬送順位が決まります。また、現場での応急処置も行われます。
トリアージが終了した救急隊の方々に、患者さんの搬送に回っていただきます。
4台の救急車で、患者さんのピストン搬送を行いました。2往復でトリアージが黄色のすべての患者さんが、搬送完了しました。
その間、トリアージが緑の患者さんがたくさんいらっしゃいましたので、緑の患者さんの中で搬送の順位を決める必要がありました。
この時点で、近隣消防本部から、マイクロバスサイズの多目的車が応援に駆けつけてくれる予定がたっていました。
災害弱者であると言われる、「小児」「妊産婦」「高齢者」「外国人」を優先的に搬送するため、救急隊の方々に該当する傷病者の方々をピックアップしていただきました。
ピックアップされた、傷病者の方々を、ピストン搬送の救急車で搬送していただきました。
平行して、最初からトリアージが黒であった患者さんも診察させていただき、近隣の病院への救急車での搬送をお願いしました。
その後、続々と県内の消防本部から応援の多目的車両が到着し、残されたトリアージが緑の患者さん達を、東広島市、尾道市、三原市などの医療機関に分散搬送していただきました。
搬送の算段中に、広島大学病院DMATが現場に駆けつけて来てくれ、業務を引き継ぎました。
最終的に、緑の患者さんが多目的車両で東広島医療センターへ搬送されるタイミングで、ドクターヘリの医療スタッフはすべて、現場を離脱しました。
東広島医療センターには、DMAT活動拠点本部が設置され、県内のDMATが参集。病院のスタッフのみなさんと、参集したDMATで、本部機能を担ってくださっていました。
そこには、当院からドクターヘリによるピストン搬送で病院へ着いた、竹崎Dr・田邊Dr・小川Ns、広島市消防ヘリで到着した広島大学病院の医療スタッフ、当院からDMATカーで参集した伊関Dr・石井Ns・安達Logiの姿が。
他にも、DMATの訓練で顔見知りのたくさんの同志たちがいらっしゃいました。
また、県庁には山野上センター長と、市園Logiが調整本部を立ち上げ、本部活動を行ってくれていました。当院にも板井Drを中心に対策本部が立ち上げられており、後方支援を担ってくれておりました。
東広島医療センターの活動拠点本部で、集まっていらっしゃったみなさんに、現場の活動を報告し、ドクターヘリで広島ヘリポートへ帰投しました。
以上が、2016年3月17日、広島県ドクターヘリの医療スタッフとしての対応についての備忘録です。
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今回の局地災害について、
できたこと・よかったことは、
消防本部から、多数傷病者事案にドクターヘリ要請してもらえたこと
基地病院・協力病院として災害モードへのスイッチが早く入ったこと
追加の医療スタッフ派遣も、スムーズに行われたこと
現場先行した医療スタッフからの情報で、DMATの派遣要請が速やかになされたこと
現場を取り仕切っていた、東広島消防の救急隊の方々が、K本さんを中心に非常にまとまっていたこと
東広島医療センターのみなさんに、全力でご協力いただけたこと
地域の各病院が、最大限の努力をしてくださったこと
近隣消防からの応援がすみやかに行われたこと
長くお待たせしてしまったにも関わらず、トリアージで緑の傷病者のみなさんが、協力的だったこと
などが、挙げられると思います。
ドクターヘリとしては、運航開始から約3年で徐々にスタッフ間の意思統一がなされ、ある程度共通の認識で活動できていることを感じており、症例検討会や、スタッフカンファレンスでの議論が効果を発揮していると感じております。
事後検証会で、課題や問題点を抽出し、よりよい活動ができるようこれからも精進して行きたいと思っております。
これからも、広島県ドクターヘリ・県立広島病院 救命救急センターへのご理解・ご協力をよろしくお願いします。
<おまけ>「広島ブログ」という、広島に関係するブログ集に参加しました。
よろしくお願いします。
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